JKT48のオタクになってみた -coba menjadi fans JKT48

JKT48とそのファンを研究対象にしたら自分もミイラになったでござる

外国語を話すアイドルが好き

いくら研究とはいえ、いや研究だからこそ、興味関心以上の好意を持つポイントが幾つか必要だ。
アイドルが好き、アイドル現場が好き、オタクが好きというのが大前提だが、それに加えて外国人アイドルが好きというのが大きかったと思う。

古くはアメリカのアイドル、かつてのブリトニー・スピアーズジェシカ・シンプソンズ、バックストリートボーイズ、インシンククリスティーナ・アギレラ、98ディグリーズと枚挙に暇がない煌びやかな面々に憧れた。
英語の勉強がスムーズになったのも、スペイン語を始めたのも彼等の影響で、これに後押しされて留学した友人も少なくないから、ヲタ心は偉大だ。

日本では外国語に抵抗を覚える人が多いからか、国内のイベントで彼等に対面しても殆どの場合は通訳が用意されていて、直接交流しない人が目立った。
その中、本人に英語で声を掛けるとダイレクトに反応が得られるし、さらにフレンドリーに接してくれる。
こんなに嬉しいことはない。
(ちなみにこれは昨今のアジアスターブームのずっと前で、今はファンがハングルを覚えるのが当たり前の世の中だと言うことは承知している)

こんな原体験があるからか、外国語を母国語とするアイドルと日本人のオタクの交流については特別な思いがあった。
他人の例を聞くことも興味深く、モーニング娘。ジュンジュンとリンリンが入って来た時は、チャイニーズ握手レポを隈なくチェックしていた。

筆者はというとハロプロ台湾に夢中になった。
ハロプロ台湾」そのものは済し崩し的に消滅してしまい、活動期間や日本での活動はほんの少しであったが、北京語を勉強し、握手会その他の場面で交流できたのは良い思い出だ。
拙い言葉が通じた時の感動は、対アイドルの記憶というよりも異文化コミュニケーションにおける好例として深く印象に残った。

アイドルという存在や、彼等のパフォーマンスは言語を超えて魅力的だが、言語というコミュニケーションツールの威力はやはり大きい。
MCが分からなかったり、スラングの応酬に妙に疑心暗鬼になったり、その壁は低いものでないが、越えられた時に得られる感触は、単純に自分の成長に直結していることを思う。
アイドルのおかげで勉強を頑張れるなんてこんなに有難いことはないので、この感触を確かなものにすべく、今後も精進したい。