JKT48のオタクになってみた -coba menjadi fans JKT48

JKT48とそのファンを研究対象にしたら自分もミイラになったでござる

プアサしてみた


休日を利用して断食(puasaプアサ:インドネシア語アラビア語ではサウム)に挑戦してみることにした。
JKT48は殆ど関係ないし(クリスチャンのミシェルちゃんが数日前に「今日はプアサするよー!」とツイートしていたのに少しの勇気を受けた、筆者もクリスチャン)、感じたことはとても個人的だったが感想を記しておく。

ラマダン(断食月)の間に1度は、と思い、やるならsahur(夜明け前の食事)からと考えていたが、半分忘れていたこともあり6時頃起床してしまった。
実際はモスクからのアザーンで夜明け前に起床し、夜明け前の礼拝と食事をとり、また眠るのだ。
イスラームの礼拝の代わりにお祈りをするべきか、とかいろいろ検討していたが寝過ごしたので、とりあえず割愛ということで断食を進める。

これまでの人生で断食、イスラーム的なことでなく健康上などの理由で、を行ったのはきちんと覚えている限り2回。
1度は小学生の頃で、42.195kmを飲まず食わずで歩くという競技?にレクリエーションとして参加した時だ。
小学生の足で勿論そんなに早いということはなく、ゴールに到着したのは夜7時頃だった。
同級生たちとお菓子の話をして励まし合いながら歩いた記憶がある。
もう1度は最近、胃痛が酷くて食欲もなく、2日間ほど断食をしたが食欲がないので何の辛さもなく、またあまり効果も得られなかった。

いずれにせよ食べない、飲まないという状況にそこまで抵抗はなかった。
(1日中水分を取らずに運動してしまうこともあるので飲まないは大丈夫)
しかし、始めてみると無意識のうちについ食べようとしてしまうことに気づいた。
空腹を感じ、何か食べよう、あっ食べないんだった、暇に任せてお菓子に手を伸ばし、あっ食べないんだった、TVのグルメ特集を見て、お昼はこれにしよう、あっ食べないんだった…
休日を選んだのは体力を消費せず家にいることができるからだったが、外にいると尚更食べ物の存在は大きかっただろうし、日本で断食を行うムスリムの苦労に想いを馳せた。

食べないとなんとなく暇だ。動かずに過ごしていたこともあるが、とにかく時間が過ぎるのが遅い。
断食用の情報サイトで日没を確認。
f:id:kamiokamana:20150704102832p:image
何故か東京都大田区の設定。まあ都内なので違いはないだろう。
ちなみに同サイトは日本語版がないということだった。
Googleのサイトで、ゲームや料理のレシピ、「空腹時になぜお腹が鳴るのか?」というコラムなど気の利いた?コンテンツが並んでおり、英語、アラビア語インドネシア語トルコ語、マレー語で公開されている。
日本人ムスリムはやはり超マイノリティーだ。

ワイドショー、CMで食べ物の情報が流れるたびに空腹を感じる。
やり過ぎなんじゃないかと思える。
逆に目に楽しい気もしてきた。
ラマダン中の食べ物スタンプの意味がわかった気がした。
そのうちにもう食べてもいいんじゃないかと思う。
そこで食べずに乗り切ったのは、貧しい人の気持ちは勿論、時を同じくして断食を行うムスリム、特に日本にいるムスリムの気持ちを思う機会であるということを実感したところが大きい。
成る程、と思いながら日没を待ち続けた。

アザーンは聞こえてこないので時計を見ながらmaghrib(日没の礼拝)の時を待った。
待ちに待った断食明け!喜びは一入だ。確かに宗教的な瞬間である。
しかしインドネシアとは時差があるし、見たところ日本ではあまりお祭りムードがない。
Twitterなどで日本人ムスリムの動向もチェックしてみたがどちらかというと粛々と行われ、信仰を強める時期という印象だ。
信仰の上で特別な時期なのは世界中同じだろうが、ムスリムがマイノリティーの地域にあっては単純に集団心理とあわせて「ハッピーラマダン!」という色合いが自然と薄くなるのかも知れない。
何だか寂しく、また日本のムスリムのことを考えた。

断食明けの最初は、甘く水分の多いものをどの地域でも口にしているようなのでそれに倣ってヨーグルトから食べることにした。
ヨーグルトを前に通常の食前の祈りとは違う、自然な祈りの気持ちが湧いてきた。このような機会を与えられたことに感謝しながら、イスラームの信仰にある友人の断食がスムーズであることを祈った。
ヨーグルトの蓋の裏に「いつもありがとう」と書かれていた(ヨーグルト会社の企画による)ので敬虔な気持ちになった。
その後とにかく無礼講とばかりにいっぱい食べた。3食分くらい食べた。これ毎日はそりゃ太る。フェニちゃん気をつけて!でも超太ってもフェニちゃんが好きだよ!

フォローしているインドネシアのLINE Dictionaryより。
f:id:kamiokamana:20150704103720p:image
日本では聖戦、としてネガティブなイメージが定着した「ジハード」だが、本来は自分自身のムスリムとしての成長のために内面的努力を行うことを意味する(大ジハード)。
まさにプアサはジハードの時なのではないか。ラマダンの間にムスリムとして信仰を強めると同時に心を新たにする時なのであろうと考えた。

ベツレヘムでは、ムスリムとクリスチャンが共に断食明けの食事を用意する姿が報じられていた。
日本ではなかなか実感することのできないラマダン、断食をどこか遠くに感じていたが、実際に行うことでその感じ方が変わるということを身をもって知った。
また日本でムスリムがマイノリティーであると同時にイスラーム圏で非ムスリムはマイノリティーである。
それぞれの場にあって、マイノリティーである人々が理解を得て互いに共存できる社会を目標に今後も研究活動を行いたい。